シュガーコーテッド毒キノコ

琴深は毒キノコです。お砂糖まぶしてあります。

生まれた街のあの白さをあなたにも見せたい

今週のお題「行ってみたい時代」

私は「1989年前後の頃の函館」

青函トンネルは開通し、世の中は昭和から平成へ。
私が殆ど記憶のない時期の日本。北海道、函館。



私が函館で産声を上げた、1980年代前半には、
同じくその街では、TAKUROとTERUが鍛神小学校で出会ったり、青森県から函館にHISASHIが引っ越してきていたり、相撲が嫌いと言いながら父親に厳しく育てられていたJIROが居たのだ。
彼らは当時小学校高学年。

更に、JUDY AND MARYYUKIちゃんだって住んでいたし、
まだ幼いsleepy.ab山内くんだって住んでいたわけだ。



GLAYが函館でライヴをしていたのは、彼らが高校生の間。つまり1988〜90年くらいの頃。


残念ながら私は1988年には函館から札幌に引っ越してしまうし、1993年には東京の片隅に引っ越す。


GLAY(JIRO加入前)メンバーが揃って上京したのは1990年。
そして、東京のすみっこで、彼らと目と鼻の先のあたりに私は住んでいた…。



函館市内といい、東京都某市やその近辺といい、ニアミスし過ぎである。




私の、GLAYメンバーとのニアミスは、自発的には選べない次元の出身地や引越し先の話レベルでは無い。

  • 東久留米市のコンビニ・デイリーヤマザキでHISASHIがアルバイトしていた頃、私も東久留米市の小学生。
  • 東村山のスタジオでレコーディングしていたGLAY。私の通った高校は東村山市にある。pure soulツアーで西武球場に来た時にはまさしくそのエリアで生活していた。
  • 2002年の1月末、メンバーの1つ後の便で青森入り。
  • 1日違いで青森市の同じレコード店に行き、同じブックオフに行く。
  • 2003年の武道館、メンバー車が来たことに気づいた私だが、たまたまTERUも車内から外を撮影しており、動画に写り込む。
  • 2004年の札幌、私が昼に行ったお店で、その日の夜からGLAYのサインが飾られた(私の後に彼らが来た)
  • 2004年に引越した場所、あれ?HISASHIの実家割と近いはずだ
  • 2006年のライジングサンロックフェスティバル、TAKUROファン2人で初の夏フェス参加の際、バンプ天体観測で盛り上がっていたら、裏ステージにTAKUROがサプライズ登場。あんたら何しに行ったんだよと散々言われ、今でもこの時の話は2人でのトラウマ兼鉄板ネタだ。
  • 2006年か2007年、長崎の眼鏡橋で写真を撮った私の、同じアングル、1本違いの橋で撮った同じ日のTAKUROの記念写真が会報に載る。
  • 2010年頃、渋谷で買い物をすれば昨日TERUさん来てましたよーと言われる
  • 2012年夏、あれ?なんであんなに狭い函館空港でHISASHIに気づかなかった?
  • 同じ日、店の二階にTERU来てましたな。スタッフそわそわしすぎだよ。


このような話は枚挙に暇がない。

ジョンレノンスーパーライヴ、ポールマッカートニー来日公演、X JAPAN東京ドーム、ピロウズのライヴ、スカパラのライヴ、the Birthdayのライヴなど、同じライヴ会場に来ていて、かつ来賓としてのメンバー目撃談多数だというのに、
一度たりとも出会えた試しがない。




ここまでくると、TAKUROのよく言う「さよならだけが人生さ」という半分笑いを取るためのようなセリフのように

ニアミスだけが人生さ
などとさえ言いたくなってくると。




というわけで、私が行ってみたい時代は、1989年頃の函館、あうん堂を埋めたGLAYを見に行きたい。




一瞬、シェイクスピア作品の初演をグローブ座で見ようか、リストの生演奏をコンサートで体験しようか、生きている頃のジョンレノンを…、会ったことのない祖母の生前に…などなどは思いついたのだけど、


…まぁ、俗っぽい、本音が勝ったということで。
TAKUROが好き過ぎるだけの話だった。いつものオチだった。