シュガーコーテッド毒キノコ

琴深は毒キノコです。お砂糖まぶしてあります。

結局本命は本命なのだ。

今週のお題「今年見に行ってよかったもの」

イベント参加を最小限に抑えて技術力を付けつつ貯金します!
宣言をした2015年。

しょっぱなで激多忙な上に法律違反な給与不払いの企業に転職する所から始まり、半年後、人間らしく働ける職場に出会って精神的リハビリをした1年!
今年はライヴにもあまり行かずによく頑張った!さすがに自分でもこれは頑張ったと思える。

なので、ちょっとした外食以外ではほとんどお出かけ自体が無い今年。
大好きな空港(ただ空港で遊ぶために行く旅客機好き)にも1度くらいしか行かず、北海道にも行かず、桜も見ず、紅葉もあんまり見ていない…。


厳選して行ったライヴは

1月 GLAY MMHツアー 横アリ2days
3月 スカパラ 武道館(アジカン、モンパチ、10フィと亀田誠治さんがゲストとして出てる)
5月 GLAY東京ドーム2days(YOSHIKIさんはこの世に実在した!)
9月 the Birthday 武道館
11月 the Birthday BLTCツアー初日 横浜ベイホール

ことし、ライヴとフェスは最低限に抑えてるので、これに来週のレキシの国技館が入るだけ。

改めて少ない。月に1日以下!小さなハコに行ってない!
月に3~5回はライヴ行ってたワタクシとしては、現場離れの程度がものすごい。


あとはお出かけしたのも、新潟県への帰省1回以外だとTDS
そのTDSは最高に楽しかった!GLAY東京ドーム2daysの次の日に行ったものなので、3日間が夢のような楽しさだったので、

お題への答えは
「10年越しの約束の東京ドーム、そのままみんなで行ったディズニーシー」
でございます。


なぜ10年越しの約束なのか。

それは、10年前、ドームツアー最終日となる東京ドーム公演で、
盛り上がった勢いでTERU氏が、着ていた白いジャケットを、おもむろに脱ぎ、マイクスタンドにかけて、
「10年後に、これ取りに来るから!」
と、10年後にドームで公演する事を約束したのです。
(その時、学生だった私は会場に居てしっかり公約を聞いていた)

いつもステージで迷言や名言を出すTERU氏をきちんと受け止めてきたリーダーTAKUROは、
「え、10年間ドーム出来ないの…? じゃあ2年後(3年後だったかも)のドーム抑えてるけど、予約キャンセルしなくちゃ」と苦笑いを噛み殺していたらしい。


GLAYは「約束を守るバンド」というのを公言しており、ついつい公約を増やしては自らのハードルを上げたり、首を絞める事もあったり、時にはそれが感動を与えたりする。
「この曲やります」的な実現しやすいものから、「またこの土地に来ます」「10年後にドーム」そして比較的近年では「解散しません」という究極のものまで、ありとあらゆる公約が存在する。
2012年夏の長居スタジアムでは2015年までの7つの予定を時期含めて公開し実施した。内訳はリリースの話、東北でのEXPO開催、ツアー予定、そして東京ドームにジャケット取りに行くことまで。
財政破綻した夕張市に毎年足を運ぶ事などは約束どおり9年間続いている。


10年間で、彼らも古巣の事務所関連で裏切られたり裁判沙汰(簡単に言えば信頼していたスタッフが裏切ったこと、そして数億円分のギャラ未払い。細かいことはググれば出てくる)があったりして、
リリースやメディア露出がしにくい時期もあった。
2006年の武道館では初めて、ファンに対して「助けてください」という言葉が飛び出した。
その時期に手を差し伸べてくれたアミューズ関連のおえらいさん、コラボしてくれた氷室京介さん、EXILEなどの方々には感謝しかない。
しかもその間に家庭のぬくもりを求め続けてきたTAKUROを二児の父にしてくれた奥様岩堀せりちゃんには毎度毎度感謝しかない。
デビューのキッカケを作ったYOSHIKIさんとも再会し再び接点ができた。
プロデュースをしてくれていた佐久間正英さんという日本の文化財のような方が亡くなって、亀田誠治さんと出会う。キーボーディストの永井誠一郎ことSEIちゃんと出会う事も出来た。
やっと自分達のレーベル、事務所を作れたおかげで今では事務所ビルに専用スタジオを持つなど活動しやすくなっている。


そんな彼らの30代から40代への移り変わり。
ファンだって10代が20代に、20代が30代になり、結婚した、就職した、子供が出来た、病気になった、親が倒れた、病死した…さまざまあった。



GLAYの2015年5月30日,31日
このご時世、ドーム公演が出来るアーティストも少なくなってしまった。
しかし、蓋を開けてみれば彼らのチケットは即完売。
ファンからの悲痛な声に応え、ステージの後ろも開放し360度詰め込み、2階席3階席、ありとあらゆる席を開放。
私達は6人でファンクラブや有料モバイル会員サイト(回線複数持っている人もいたので実質7名義)で申し込んでも、余りが出なかった。チケット取るのは大変だった。


私が仲良くしてもらっている友達は、2001~03年頃、彼らのラジオ番組のBBSで話していた人と、たまたまmixiで再会し、東京に遊びに来たついでにお食事をした姐御を中心に広がった御縁の方々。

姐御が長崎県なので、北海道出身の私とは、最初何もかもが新鮮で驚きの多い会話をした。
その後、どんな時でも見捨てずにきてくれた5人と、今回はドームに。
5人は長崎県、福岡県、大分県
私だけ北海道から東京に来た人(一時期友達とライヴ行くついでに福岡に諸事情で住んでたけども)。


ドームの2日間は、JIROファンで若手3人組が揃いのスカートとリボンを作ってみたり、TAKUROファンとHISASHIファンで構成される年上3人組(こちらが私のいるほう)も、HISAコスの姐御の横で私が封印していた甘ロリを7年ぶりくらいでやってみるなど、痛々しいおばちゃんとなりながら参加。

奈良や三重の友達と会えた以外は、残念ながら会えなかった人もかなりいたのだけども、5万5千人もいれば仕方ないやね。


ライヴの内容、さすがに20万人ワンマンで演奏したバンドなので、1度には10万人以下でないと楽しませられないと発言するようになった。
彼らにとっては5万5千人程度、「米粒サイズ」で終わらせてつまらない思いはさせない。
モニターはあるけれど、360度開放だからステージ後ろにどんと大きく組むことは出来ない。大きすぎないモニター設置。
一番遠い、3階席4階席、正面の人が肉眼で見えるように、最初は気球で後方から登場、最後もアリーナ円周をフロートでまわる。花道はそこそこの長さ。

10年前のドームツアーで生のストリングスを引き連れて指揮をしてくれた溝口肇さんが両日とも登場!(クラシックや室内楽も好きな私にはたまらない)

10年前はピンチヒッター的に入ってくれていたキーボーディスト斎藤有太さんを、アンコールで突如ステージにあげ、最近のコラボ曲とコード進行がやさしい代表曲の2曲を演奏させる(実際はチラチラと「HOWEVERやりたいから確認しといてほしい」的な事は、TAKUROが有太さんに匂わせて居たらしい。そしてさすが斉藤有太さんである、素晴らしい演奏をサラリとしてくれた。)

そして、二日目のアンコールで…
あれ?このステージにせり上がってくる見覚えのある白いグランドピアノ、と、弾いてる人は…

YOSHIKIではないか!!!

あの瞬間の歓声は、メンバーが後に危ないくらいのデシベルを記録したと公開するほど、2日間で1番の歓声だった。
WOWOWの生放送を見ていた友人は、せり上がってくる時にYOSHIKIさんの弾くForever Loveの演奏音が聞こえて居たらしいのだけど、会場では歓声が凄すぎて一切聞こえてないよwww
そのまま、RAIN(YOSHIKIプロデュースによる彼らのデビュー曲)が始まった。
ん?これは現実だ。さっきまでさんざん見てきたこのステージは確かに現実で、メンバーも生身の本物だ。そうだよね?
つまり、目の前のステージでいつものKAWAIのピアノを弾いているのはYOSHIKIだ。

「もしかして…YOSHIKIって、この世に実在したんだね!」
って、思いましたよね。

その日のTERUの喉は、最初から、決してコンディションが良くなかった。
でも、あの高音部分は、「出てくれ」って、多分会場にいたコアなファンたちは凄く願っていたと思う。
そして、コンディションが良い時よりもエモーショナルで素敵な歌を、聴くことが出来た。

まさか、GLAYのライヴでXジャンプしてYOSHIKIを見るだなんて思ってなかったから、そりゃあもう…

少年に戻ったようなメンバー4人と、何故かむしろ感極まって誰より先に泣き始めるYOSHIKI
それでも「20周年おめでとう。続けるってすごいよ。ほら、ボク達、いろいろトラブル起きるから…」
とか話し出したYOSHIKIさんに
「いやいや起こしてるの誰よ」的な話を私達がしているそばから
「あのー、YOSHIKIさん、トラブルって、勝手には起きませんよねw 起こしてるの大体YOSHIKIさんじゃないすか」と、至極まっとうな事を言ったTAKUROに、首がもげるほど頷きたかったw(少し泣いたまま大きく苦笑いするYOSHIKIさん天然かっ!ちょっとかわいいじゃないかっやってる事のわりに)


YOSHIKI出てきた時、あ、こんな悲鳴が私は出せたのか!っていうくらい、変なとこから声出た。

いやー、あれは、見てよかった。行ってよかった。




そのまま終演後、都内東よりのホテルにみんなと合流して1泊。翌朝早くから無料シャトルバスでディズニーリゾート。
ミニーの耳をつけ、初ディズニーな姐御(当日が誕生日)にサプライズをし、いつものノリではしゃぎまくり、
気付けばみんなしてダッフィーやジェラトーニを真剣に選び、お迎え。
ミッキーに抱きつき、ミニーに抱きつき、プルートをなでなではぐはぐした。
ただアイス食べるだけでも6人で食べると
こんな事になるから、笑いが絶えない。



あまりにも夢のようだったから、現実世界に戻りたくなくて、しばらく本当に切なくて仕方なかった。


あんな体験は、なかなか出来ないし、本当にこんなに楽しめる友達と繋がれたのはGLAYのおかげ。
(GLAYファンなのに集まればレキシの曲ネタで盛り上がるし、寝巻きはレキシの袴Tシャツ。なんだかんだでL'Arc~en~cielのライヴも一緒に行くし、ロックフェスのたぐいは姐御と行くのが基本の形で始まっているので、スカパラthe Birthdayも、大抵の話は姐御としている。
あ、以前書いたライジングサン初参加の時のTAKUヲタ仲間ね。)


やはり、あらゆる音楽が好きだけど、
本命は、結局本命だから、一番を選ぶとそうなってしまう。






勢いで書きなぐった4千字をこえる長文ですみません。
ダサかろうが、野暮ったかろうが、オワコン扱いされようが、他に好きなバンドマンも俳優もフィギュアスケーターもいるけれど、
私はTAKUROが、GLAYがやっぱり本命だ。